モータリゼーションの終焉


エクスペンダブルズ3を観に行って、
今さらながら、あらためてスタローンに憧れ、
本格的に筋トレをはじめようと思っているCD佐藤です。

先日、某案件でコピーライターとブレスト中に
「間違いだらけの~」というフレーズが出てきて、
そういえば徳大寺有恒ってまだ生きているんだっけ、
という話になってググったばかりの3日後(11/08) 、
ネットのニュースにて、氏の訃報が届きました。

tokudaji2014年11月8日朝日新聞デジタルより引用

machikuru1989(c)草思社

いまとなっては、まったく聞かない名前になってしまいましたが、
高度経済成長期後半からバブル時代頃までの
モータリゼーションの有り様に
大きな影響力を持っていた自動車評論家で、
四半世紀前、神奈川日産に勤めていた時に
イベントの仕事で拝見したことがあるのですが、
パイプをくわえたダンディな写真から想像するよりも、
かなり小柄な方だなあと感じた記憶があります。

かつて、「愛のスカイライン」から「くうねるあそぶ」まで、
新車の広告が一世を風靡できていた時代、
自動車はロマンに満ちた文化的な道具でした。

彼はその頃からずっと一貫して、
男女の恋愛に車は必要不可欠な道具であると言い続けていました。
確かに80年代後半から90年代にかけて、
あらゆるデートスポットは車を中心に組み立てられ、
土日に横浜、山下公園あたりに車で行こうものなら
大渋滞に巻き込まれるのは必至でしたが、
最近ではみなとみらい線が元町中華街まで繋がったこともあって
ほとんど渋滞することなく、駐車場も空いていて、
たまに横浜にドライブにいくと、リアルに若者の自動車離れを実感します。

燃費や安全性、パッケージが重視され、
移動のためだけの道具になってしまった今、
徳大寺有恒氏の死には、文化的な道具としての自動車の終わり、
さらにはモータリゼーションの終わりを感じさせられています。

そういう自分も約10年、機能性重視の極みの軽自動車に乗り続けているので、
次は2シーター、マニュアルのスポーツカーが欲しいなぁ。

なにはともあれ、徳大寺有恒氏のご冥福をお祈りいたします。