企業理念
私たちはクライアントの悩みを的確に聞き入れて、
紙媒体の可能性を中心に考えつつ、多くの解決への道筋を提案し、
人と人とをつなぎ、発展させることができる会社です。
代表メッセージ
株式会社リベラルのサイトにアクセスいただきありがとうございます。
代表取締役の宮嶋圭介です。
今、世の中は新型コロナウイルス感染症の影響により、国内の観光業や飲食業が大変になっているとニュースで聞かない日はありません。
他にも多くの業界がダメージを受けていますが、当社を含めた広告業界もその一つ。
広告は人を集めることが仕事なので、それが思い切りできない今の状況は非常につらい状況です。
こうした今の世の中において、テレワークやIT・デジタルを使ったツールが加速度的に増え、存在感を増しています。
同時によりペーパーレス化の必要性も叫ばれています。
当社は紙媒体広告の企画・デザインから印刷までを得意としていますので、向かい風にある状況ではありますが、
紙の良さや手触りであったり、紙の持つあたたかみ、紙媒体特有のデザインのカッコよさというものが世の中から消えてなくなるなんてことはないと思っています。
当社の特徴には制作物の企画・デザイン・対応力というクリエイティブ力と、営業力があります。
クリエイティブについて言うと、良いデザイン・良い企画に加えての対応力が強みです。
デザインの提案数の多さやバラエティの豊富さはもちろん、修正対応の速さ・的確さ・気遣いなど、
大手代理店やプロダクションには真似のできない細やかな対応力が自慢です。
また、初めてのお仕事や、デザインの中身について直接話したいときなどには、制作者も同行して打合せもしており、
ストレスなく進行できるよう、チームでご要望に対応いたします。
営業については、広告・デザインの知識や印刷の知識以上に営業個々の個性・キャラクター・人間性に最も重きを置いています。
良い企画・良いデザイン・良い仕上がりであるのは当たり前。私がそれ以上に大切にしているのは、ただビジネスで終わらせるような関係ではなく、
一人の人間として末永くお付き合いできるような関係を築ける営業であること。
つまり、一人でも多くのお客様と、「この人とまた仕事したい」「困ったことはこの人に相談すればいい」という信頼関係を結べることです。
当サイトで紹介しています通り、さまざまな研修に力を入れていますが、これらはすべて人間力を磨くためにやっていること。
私は直接会って話をするというスタンスを何よりも大切にしていきたい。
お客様以上、恋人・家族・親友未満な関係。それくらいに身近で、強い信頼をいただけるパートナーでありたいと思っています。
当社はクリエイティブ力と営業力の2つの軸で、お客様の広告活動をお手伝いいたします。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
会社概要
宮嶋圭介(みやじまけいすけ、1975年(昭和50年)8月21日―)は、日本の会社経営者。身長170cm体重65.0kg。獅子座・B型。
人物
・総合広告代理店リベラルの代表取締役社長
リベラル設立時に入社し、トップ営業マンとして活躍。順調に昇進を重ね、36歳の若さで代表取締役社長に就任。
・スポーツ好きで、アクティブ志向。
テニスやスノーボード、フットサルを楽しむなど、スポーツ全般が得意。体力づくりのためのジョギングは、雨の日も欠かさず走るほどのストイックさで取り組むライフワーク。最近は釣りとゴルフにハマり、持ち前の器用さとバランスの良さでその腕を着々と上げている。また、他社との交流イベントやレジャー企画など、思い描いたことをリーダーシップを発揮しながら実行していく積極的な性格。
・目指すのは、なくてはならない存在として信頼され必要とされる会社
“当たり前のことを、当たり前に行うこと”…ビジネスの基礎はそこにあると考えている。従業員に対して、それを常に心がけるよう求め、クライアントや協力会社、さらに地域・社会からもなくてはならない会社に育てていくことを信条としている。
来歴
1975年8月21日(誕生)
静岡県三島市にて、2人兄弟の次男として生まれる。家族は喫茶店を経営。祖父は自動車部品製造会社の創業者。周りの大人たちが経営者という特殊な環境のなか育ったこともあり、小さなころから自然と社長という生き方に憧れていた。

3歳の頃の一枚。近所でも評判のかわいさだった。
1982年~(小学生)
小学校に入学した当初はカラダが弱く学校を休みがちだったが、性格は明るく、クラスの人気者に。静岡県の少年らしく地元のサッカークラブに所属するなど、放課後や休日はサッカーに明け暮れる。必然的に女子からの人気も高く、順風満帆の小学生時代を過ごした。
1988年~(中学校)
中学校入学を機にサッカーから転向し、テニス部で活躍。勉強は決して好きなタイプではなかったが、成績は取り立てて悪いこともなかった。「高校にもこの調子で順調に進学」と目論んでいたが、万全を期して臨んだ高校受験に失敗。人生初めての大きな挫折を味わう。

高校の修学旅行にて。部活と勉強で、高校生活は真面目に過ごした。
1991年~(高校)
受験に失敗したショックを引きずりながら地元の私立高校に入学。しかし、1年生の中間テストで好成績を獲得し、担任教師から直接褒められたことで、勉強にやりがいを感じるようになる。以降は真面目に勉強に取り組み、授業では中央最前列が指定席。評定平均も高く、推薦入試で大学に無事合格を果たした。
1994年~(大学)
高校では勉強と部活だけに努めた分、大学ではとにかく「人間関係を広げること」「コミュニケーション技術を磨くこと」をテーマに、遊び・恋愛・サークルに打ち込む。本人いわく“死んでも悔いのない”ほど充実した4年間を送った。
その経験を活かし、就職にあたっては多岐にわたる企業と付き合える仕事につきたいと、広告の道を選択。大企業で出世争いをするよりも、少数精鋭の企業で活躍するほうが自分らしい、と設立当初だったリベラルに魅力を感じ応募し、内定を受ける。

テニスサークルの合宿にて。一生付き合える親友たちに恵まれた。
1998年~(社会人)
社会人は人生のファイナルステージととらえ、目標は高く持ちたいと「この会社の社長になる」ことを入社時から宣言。しかし、飛び込み営業をしては跳ね返される毎日。社会の厳しさを痛感して過ごした新人時代だった。
1999年
苦境の日々を送る中、1年目の終わりにはバイク事故に遭遇。頭蓋骨骨折、くも膜下出血など、生死をさまよう大ケガを負ってしまう。九死に一生は得たものの、「大した売上もなく、入院して仕事を休み、周りにも迷惑をかけた。もうクビだろう」とその時覚悟を決めたという。
しかし、クビどころか、創業者である当時の社長と部長には、看病し身の回りの世話までしてくれながら、温かく職場復帰を支えてもらった。「この恩は絶対に返したい」、そう誓って復帰した2年目からは、今まで以上に仕事に励むようになる。その結果、秋には他の先輩を追い抜き営業成績トップを獲得。その後は独走状態で、リベラルの営業の顔となる。

入社2年目で早くも会社案内に営業の代表として紹介される。
2010年
順調に昇進を重ねて取締役へ昇進。現場を仕切るトップとして営業だけでなく、クリエイティブチームも束ねる立場になる。自分よりもベテランの制作スタッフたちをまとめ指揮していくと同時に、先代の社長から、次期社長として経営ノウハウを学んでいく。
2012年8月
代表取締役社長に就任。1年目から、前年より売り上げを大きく伸ばし、順調なスタートを切る。現在も、担当クライアントを持ち、自ら売り上げも作りながら、第2・第3と自分に続く人材の育成にも注力。
2016年8月
代表就任時に自らに課した目標『3期連続で黒字を出す』を宣言通りに達成。その勢いで4年目となる2016年7月度決算では、過去最高の売上を達成する。
2017年8月
株式会社リベラル設立20周年を記念してのパーティを横浜ベイシエラトンホテルにて開催。創業者でもある先代経営者や多数の来賓、協力会社を迎え、この20年の歩みと歴史を振り返る。

多くの人に支えられ20周年を迎えられたことをあらためて感謝することができた1日だった。
2020年8月
第23期を迎えた株式会社リベラル。コロナ禍の中であっても黒字決算を達成した第22期に続き、より一層紙媒体の企画・デザインに磨きをかけ、より一層営業の足まわりとクライアントのニーズを的確に拾い上げるヒアリング力の向上を目指している。